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地域後見推進プロジェクト

共同研究
東京大学教育学研究科生涯学習論研究室+地域後見推進センター

トピックス.

修了生代表スピーチ(令和4年度市民後見人養成講座 修了証書授与式)

 修了生代表スピーチ
 小南 俊裕 様

 

 私は現在38歳で、妻と二人で都内に暮らしております。双方の両親ともに健在で、祖父母も多くが存命となっています。
 ただ、祖父母たちは全員が80代後半を越え、体力の低下や認知症の症状が見られますので、施設や家族の支援を受けながら暮らしている状況です。

 やはり、自分の身内には高齢になっても幸せに暮らしてほしいと思う一方で、私たちの世代ですと共働きが当たり前になっていますし、人生100年時代と言われる中で定年も延長され、働きながら子育てと親の介護、場合によっては祖父母の介護も行うという状況も出てくるのかなと思っております。これは、相当に大変なミッションだと思っており、個人の力だけではどうにもできないものがあるだろうと思いました。そして、これは私の家庭だけの問題ではなく、社会全体の課題だとも感じました。
 そんな事を考えながら、高齢者の生活を支えるサービスや制度について調べていたなかで、この成年後見制度という制度の存在を知り、勉強してみようと思った次第です。

 本講座を受講するなかで感じたことは、後見活動の社会的重要性はもちろんなのですが、求められるものの大変さを特に感じてしまいました。様々な状況での柔軟で細やかな対応、時に専門性も求められるという点で、率直に言って、世の中の様々な職業の中でも、非常に難易度の高い部類に入ると思いました。それゆえに、活動の質は属人的になってしまうのかなと思います。
 ただ、これを解消するために、様々な専門職経験者がチームを組んで後見に当たる、本講座の卒業生でもある成年後見普及協会のお取り組みは、一つの答えだと感じました。講義でも度々言及がありましたとおり、支援者自身が疲弊しないためにも、こうしたチームアップは大事なことだと思いますし、そういう意味で、ここにおられる卒業生の方々との横のつながりというのが重要になっていくのかなと感じております。

 もう一点申し上げると、より高いレベルで支援をしていこうとすれば、被後見人お一人ずつにより多くの時間を割いて向き合う必要があると思いますが、働きながら、子育てをしながら、自身の親の面倒を見ながら、私自身がそれを行うことは難しいのかなと感じております。では、どうすればいいのかと思った時に、一つのヒントとして、対人援助の基礎の講義をご担当された高橋先生が、DoingではなくBeing、ただそこに居ることの重要性というのをおっしゃっていたことを思い出しました。何かをしてあげるだけが支援ではなく、信頼できる存在としてそこに居ること、ただ話を聞いてあげることも、後見制度あるいは権利擁護支援という枠組みの中の一要素になり得るのではないかなと思いました。
 いま、私が後見人に任命されたとして、その責務を全うできる自信はありません。ただ、近所の○○さんに時々声をかけてあげてねと言われれば、それはできます。そうした後見制度への緩い関わりというのも、これから制度の認知を広げて行くうえでは、あって良いのではないかと思いますし、そうすることで、私のような世代も関わりやすくなるかもしれません。

 今回の講座受講は、後見制度そのものにとどまらず、高齢者の方々に自分らしく生きていただくために何ができるか、というのを考えるきっかけになりました。この場にいらっしゃる皆さんが同じ思いを持たれていると思いますが、この輪をもっと広げられるように、今後も自身にできることを考えていきたいと思います。

 


 修了生代表スピーチ
 榛澤 千佳子 様

 

 お恥ずかしいことですが、私は、つい最近まで、後見制度について、全く知りませんでした。そのため、初めて学ぶ者の視点による、精一杯の話になり、大変恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。

 きっかけは、8年前に、父とともに介護した母を亡くし、「次、父の時は自分一人で、介護も何もかもするのか…できそうにないな…」と思っていたところ、雑誌の特集で、初めて後見人という方がいると知りました。
 そして、いずれお世話になる可能性があるなら、まだ、自分自身が、この制度を理解ができる年齢のうちに勉強しなくては…と、ネット検索したことが、今、ここに繋がっております。

 何も知らなかったものの、カリキュラム体系を見て、できれば、法律や制度に当てはめても、対応できないケースについて、何に基づき判断するべきなのかという、「そもそもの考え方」を学びたいと思いました。

 本講座は、国が目指す方向や、制度・法律などの社会的な枠組みからのアプローチ、また、実務と現場の対応、さらに、必要となる医学的、心理的な視点からの講座も用意され、多岐にわたり、とても充実した内容でした。
 正直、学習内容についていくのは大変でしたが、最も根本的なことに気づき、大事なことを教わったと思います。

 まず、これだけ高齢社会と言われ、見聞き、私自身も、5年間ものの母の介護を経験してもなお、人が「老いること」ということの、「社会的な意味」とは、どういうことなのか、ということを理解できてなかったと、自覚しました。
 私は核家族で育ち、現在の自分の親たちが辿っている「老いゆく」過程が、初めて見る「人間の「老い」」です。そのため、自分の中に、経験に基づく知識がありません。

 例えば、講座の事例のなかでも、被後見人の方のご希望と、周りの方が「最善」と想定する判断が異なるケースが取り上げられていたと思いますが、私は、そのようなケースにおいても、自分の中にある判断基準に幅がないため、「何に軸足をおいて、ほかのメリットと、どのように比較して決めていけばよいのか」という点に、いつも迷いがあり、難しさを感じていました。
 「それは、ただの勉強不足だ」とも、お叱りを頂戴してしまいますが、私は、今まで、「人(ひと)の「老い」」を、具体的に自分に関連づけ、引き寄せて考える術を知らなかったのだなと、実感、反省しております。

 ただ、一番大事なことは、どのようなことを判断するにも、制度や法律の解釈以前に、「人が認知・身体機能が低下するという「老いる」過程で持つ、様々な感情の底にある「もどかしさ」に寄り添う気持ち」なのだということを、学び直しました。
 そして、「人の老い」を「知識」として得て、その知識を社会全体で共有する意味の深さが、新しい知恵を創るということなのだと、いろんな角度から教えていただいたと思っています。

 ところで、受講生の皆さんに、お伺いいたします。
 皆さんは後見制度について、全く知らない同世代やお年寄りに対して、「後見人って何する人?」と聞かれたら、「一言で」どのように説明されますのでしょうか。
 残念ながら、今の私には、的確な一言で、端的に説明する自信がありません。
 それは、後見人の職責の重さと、その一方で、この職責を果たすために、身に着けるべきと感じた「暗黙知」のようなものでしょうか…。そういったものと「今の自分」との間に、距離を感じるからだと思います。

 それと同時に痛感するのが、一般の人に対する「人の老いる過程に対するリテラシーのようなもの」の必要性です。
 「老いゆく」過程と、そこに寄り添うために必要な知識等は、誰もが、どんな形であれ、必要とするものです。そこに根差した価値観を、皆で共有できる社会にすることが、「以前の」私のような人間に対して、「後見制度への認知を深めること」につながるのではないかと思います。
 今後は、私なりに経験を積み上げ、将来、責任のある仕事ができるように努めたいと考えております。

 最後になりましたが、初めて学習する者にでもわかるように、きめ細やかで配慮のある講義をしていただきました本講座の先生方、また円滑な運営にご尽力いただきました、事務局の皆さんには、厚く御礼申し上げます。

 元旦から勉強したのは、ン十年ぶりで、何度くじけそうになったことか…。本日無事修了できたこと、本当に嬉しいです。関係者の皆様に、心より御礼申し上げます。

 


 

令和5年3月18日(土)
令和4年度市民後見人養成講座
修了証書授与式