支援者が無理をしないこと、支援者がつぶれないように限界を設定することの大切さがよくわかりました。
その一方で重度の障害のある子どものいる親は頼るところがなくて一人(もしくは夫婦)で子どもを背負い込んでいるケースがあります。
障害者支援施設では「強度行動障害」など虐待リスクのある人の利用を断るようになっています。一度目は支援する力がないからやむを得ず断ったのだとしても、その後研修をして受け皿を広げるわけでもなく、虐待リスクのある人や支援者の負担になる人の利用を「断り続ける」こととしています。
ある自治体の相談支援事業所の会報では、障害者がグループホームに入ることはとてもハードルが高いこと。グループホームに障害者が選ばれる条件は、まずは他害行為や物損がないこと、次に異性介助を受け入れることだと書かれていました。
また、放課後デイでは手帳を持たないレベルの人を集めてプリント学習させることで経営が成り立ってしまう反面、重度の利用者を断るようになっています。
支援者が「無理をしない」ことは大切なのですが、これらの事例のように支援力をあげるための努力もしないというのは違うのではないかと思っています。
しかし福祉でビジネスをしている事業者にとっては、支援者研修など経費がかかることには関心を持たないところがあります。いわゆる「最低限度の支援だけ保障する、文句があるなら他へ行け。代わりの利用者はいくらでもいる」というスタンスの事業所に対して、成年後見人として被後見人の生活の質向上のために彼らに対してどのようなアプローチをとれば効果的と考えられるのでしょうか。
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本質的な質問だと思いますが、答えに詰まってしまいます。
千葉県でも2013年、袖ケ浦福祉センターで知的障害の男性が虐待の末亡くなったのですが、再発防止の検討委員会によると、そこに県内の重症困難事例が集まっていたことが一つの原因とされていました。
結局同センターは昨年春に廃止になりましたが、受け皿は十分でなく、家族としても途方にくれる状況がありました。
行動障害の激しい方のために「児童心理治療施設」(昔の「情緒障害児 短期治療施設」)が全国に整備されていますが、なんと東京にはなく、千葉もやっと最近指定されました。
ただ、利用者による職員への暴力や設備の破損が日常茶飯事で、退職される職員があとをたたないとも聞いています。
自分が精神科医になった頃は、まだ今のようにグループホームなどが整備されておらず、知的障害児が産まれたら、うちの家系にそんな子はいないと母親は責められ、親亡き後のために母親たちがお金をためて出し合って施設を作る、みたいなことが全国各地で行われていた時代でした。
そんな状況をどうにかできないかと思ったのが、精神科医を目指した一つのきっかけでした。(いや何もできないんですけどね)
その時に比べて、グループホームが全国各地にできつつあり、最低賃金の保証されるA型作業所も増えてきたことに感激しますが、まだまだ圧倒的に数が足りないですし、自法人のグループホームと作業所・デイケアを行き来させ囲い込む貧困ビジネスが横行したり、そもそもノウハウ共有も少なく、保証される収入も少ないため、事業がやりがい搾取的になっている側面も強いように感じます。
そういう中で個人的に心がけているのは、対応力の弱い事業所やグループホームとも可能な限り連携を取って、まずは事業を継続できるように、困ったケースがあったときに相談しあったり、多くの事業所が関与できるようにケースワーカーと連携したりし、地道にノウハウを共有し、自信をつけて頂くことを目指しています。
なんだかんだ思いがあってこの事業に参入しているはずですから、その思いが満たされ、更なる事業拡大につながればと思っています。
なお、私のいる千葉県の海匝圏域(旭市・匝瑳市・銚子市)は、比較的福祉が頑張っているところではあります。
3回もホームに放火した方を、また退院して受け入れるホームがあったり、道行く人を投げ飛ばして訴訟になっているような方や、殺人事件を起こしたような方を受け入れたりしているのは、本当に頭が下がります。
でもその背景には、地域の基幹病院である旭中央病院が、定期的に困難事例に対してカンファランスを開いたり、グループホーム生活の定着のために、はじめは病院スタッフが一緒に泊まり込んだり(医師とかも!)していて、やっぱりみんなでどうにかしていこうという土壌があることが、本当に大事なんだろうと思います。
なお、障害者がグループホームに入るハードルの高さを感じたのは、10年位前ですが、松戸市の方のためにグループホームを探そうとしたら、松戸市に2人分しかないと言われたことがあります。人口50万人ですよ?!
また、今は分かりませんが、世話人さんたちは委託業務扱いで、週4日泊まり込んでも月収10万行かなかったり、そういう世界で、同性介助の入浴の手を確保することは現実的に困難だと思うのです。
ただそれでも、日中活動の中で同性介助で入浴できるところを確保できないか、行動障害があり興奮したら止まらなくなる人に対し、お薬を使うことで楽に生活できるようにならないか精神科医と連携ができないかなど、あきらめずに打開策を模索することも大事かなと思います。
それでもどうやっても支援が組み立てられられず、途方に暮れる時もあるかと思いますが・・・国境なき医師団では、意外と精神科スタッフのニーズも高いそうです。
言葉もろくに通じないのになぜ?と思いますが、紛争地などで支援していると、何日も命からがらで逃げて、医療がある所に到着するまでに、抱いている子供は死んでいたり、手遅れになっていることが少なくないそうです。
その時に一緒に涙を流すことしか出来ないのですが、そういう時に寄り添うケアが必要なようなのです。
なかなかうまくいかなくても、当事者と一緒に悔しさも分かち合いつつ、味方になることを忘れなければ、ベストのケアができるのかなと思います。
全くまとまらなくてすみません。ご質問ありがとうございました。
ぜひこれからの学びも活動も、頑張って下さい!
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